3.上田名誉宮司との対話 ― 志の再定義
松陰神社の上田名誉宮司との対話は、私にとって決定的な転機となった。彼は穏やかな語り口で、しかし一言一言に深い哲学と覚悟を込めて語った。

「志とは、命を懸けるに値するものです。」
「志は、他者のために立てるものです。自分のためだけでは、志とは呼べません。」


その言葉に、私は深く揺さぶられた。それまでの私は、「意味ある知」を追求してきた。しかし、「意味ある行動」へとつなげるには、志の再定義が必要だった。
志とは、知と行をつなぐ橋であり、他者との関係性の中で育まれるもの。そしてそれは、死生観と不可分である。松陰が語った「死して不朽」は、まさにその覚悟の象徴だった。
この対話を通じて、私は自分の志がまだ“安全な場所”にとどまっていたことに気づいた。それは、リスクを避け、意味を曖昧にしたままの知識の積み重ねだった。しかし、志とは「意味に命を与える覚悟」なのだ。

4.知行合一との邂逅 ― 思想が体験に変わる瞬間
萩での体験は、私にとって「知行合一」という言葉が、単なる思想から“実感”へと変わる瞬間だった。それまでの私は、知識を得ること、理論を構築すること、そしてそれを他者に伝えることに重きを置いていた。

しかし、松陰の言葉と上田名誉宮司の語りに触れたとき、私は「知っている」ことの限界を痛感した。知とは、単なる情報ではない。それは、行動によって意味づけられるものだ。そして行とは、知によって方向づけられるものでもある。
この往復運動の中にこそ、「知行合一」の本質がある。萩の地で私は、知と行の間にある“意味”の深さに気づいた。それは、哲学的な気づきであると同時に、感情的な震えでもあった。
この瞬間、私の中で「知行合一」は、思想ではなく“生き方”になった。

5.志の問い ― 自分の旅路を言語化する
萩での旅の終盤、私は一人で松陰神社の境内を歩いた。木々のざわめき、石畳の感触、空の広がり――すべてが問いを促してくる。

「私は、誰のためにこの仕事をしているのか。」
「私の志は、誰に届いているのか。」


その問いに、明確な答えはなかった。しかし、答えを出すことよりも、問い続けることの意味に気づいた。
志とは、完成された理念ではない。それは、他者との関係性の中で育まれ、行動によって磨かれていく“生きた問い”なのだ。そしてその問いを持ち続けることこそが、知行合一の旅の始まりなのだと、私は感じた。

この旅路は、私自身の内的成熟を促すと同時に、他者との関係性を再構築するものだった。それは、リーダーとしての在り方を根底から問い直す機会でもあった。

6.皆さんへの問いかけ

萩での体験は、私自身のリーダーシップの原点であり、知行合一との邂逅でもある。しかしそれは、私だけの旅ではない。皆さんにも、それぞれの「萩」があるはずだ。それは、ある言葉との出会いかもしれない。ある人との対話かもしれない。ある場の空気かもしれない。このコミュニティは、そうした「出会い」を意味づけ、行動へとつなげるためのガイドである。知と行の間にある“意味”を探る旅。それが、私が目指す「シン・知行合一の旅路」である。(つづく)
写真:萩松陰神社 上田俊成名誉宮司@松下村塾講義室(掲載はご本人の許可を得ています)